結婚を確信したとき、人はどういうふうになっているのか

今日は結婚式に参列してきました。やっぱり新郎新婦の笑顔は、他では見られないほど、キラキラと輝いていますね。私も元気をもらってきました。
結婚をするカップルを見るといつも思うのですが、みんなカウンセリングのときにいっていた希望とか条件とかそういうものとは全く違う人に導かれることが多いですね。
思い通りには決してなっていないんですよね。
しかし、妥協とか条件を落としたとかそういうことではありません。むしろ自分が抱えていた条件を超越したところに相手と出会うといったほうがいいかもしれません。
「思い通りにしたい」から開放される瞬間がある、ということなんですね。「思い通り」という牢獄から光があるところに到着する感じといったらいいのかもしれません。
最近、私は結婚ではないけれども、似たような経験をしました。それは、新事務所探しにおいてでした。
思い通りにしたいというのは、牢屋みたいなものかも知れない

ペテロの涙の新事務所は、山手線駒込駅前徒歩2分。ローソンの上という高立地。池袋ー上野間の地味な駅とはいえ、山手線の内側。広さも30平米。
「思い通りの物件をすんなり見つけた」と思われがちですが、全然そうではありませんでした。この物件は私の条件には全くあてはまらないものだったのです。
私は、新事務所をするならば、民泊にも面談にも使える物件だと決めていました。宿泊施設としても使えれば、地方から来た牧師や宣教師さんを宿泊できます。それに観光客の人を泊めれば、家賃の足しになります。
全然、違う条件だったんですよ、本当に。
ところが、2回も管理会社の審査をクリアしたのに、直前でオーナーが友達に貸すという事件が勃発。2回連続振られて、本気で凹みました。まじで物件探しを放り投げたい気持ちになりました。
そのとき、ふっと気が付きました。
「何度も何度も婚活がダメになる人ってこれぐらいヤケな気持ちになるよね」ということです。その気持ちを物件で体験するのも神様の計画だったと今は確信しています。
今回の物件は、物件探しをやめますと電話をしたその日に出会いました。美容院(というか散髪屋)の帰りの出来事でした。となりのビルに不動産屋があったんですね。
そこで、何気なく間取りの張り紙を見ていました。そこに新事務所がありました。
私が当初考えていた広さの2倍で、これまで申し込んだ物件よりも格安な家賃。しかも徒歩2分の駅前という超高立地物件。
「これ、お見合いパーティできちゃう広さやん」
私がこれまで考えていた計画がガタガタと崩れました。民泊じゃなくて、みんなが出会える場所、祈れる場所があったほうがいいと気が付かされたんです。
民泊で貸すことは決してできないのに、私は妥協した気が全くしません。これは結婚と同じです。自分の思いをはるかに超えたところに答えがあることがあるんです。
結婚も同じです。結婚したらこうしたいという思いがあると思います。それは大事です。一方で、それが牢屋になってしまって、盲目になるのも良くありません。
妥協せずとも相手に導かれることもある。しかも無理をしないで納得して、喜んで受け入れられることもある。そういう気持ちで出会いを楽しんでくださるととても嬉しいです。
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