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クリスチャンの結婚で無視されがちな恋愛について

クリスチャン婚活の仕事をもう7年近くやってきて、違和感を感じることがある。

それは、「クリスチャンの結婚は麗しい」と言われるわりに、その前段階の恋愛要素についてはほぼノータッチというかアンタッチャブルな空気感が教会だけではなく、クリスチャンのコミュニティ全体に漂っている点だ。

なにも、クリスチャンの結婚が麗しいということを真っ向から否定しようとしているわけではない。むしろそこを否定したら私がこの仕事をする理由も意義もなくなってしまう。

論点はそこではない。

 

私が言いたいのは、

「クリスチャンの結婚も、そうじゃない方の結婚と同様、

 恋愛というプロセスを通らなければ導かれることはない」ということなのだ。

 

その恋愛のあり方を教えてくれる場所がない。

唯一教えてくれているとしたら、「結婚までセックスをしてはいけない」ということだ。そうなると、じゃあどこまでならいいのかという問題が発生する。

おそらく、クリスチャンはこういったトピックを嫌う。タブー視する。だからそもそもそういう話題にならないように、クリスチャン同士の恋愛について語るのをやめている。私にはそう見える。

 

「結婚までセックスをしてはいけない」の独り歩きがクリスチャンコミュニティ、教会の中で起こっている。これに尾ひれがついていくと、「好きな異性に対してセックスしたいと思うなんてはしたないことだ」ということになってしまう。

そこで特に男性は、押し殺そうとする。恋愛感情を持ってしまった女性を「抱きたい」と思うその思いを、「ないものとして」やりすごさなければならないと追い込まれてしまう。こういった話を私は仕事をする中で山程聞いてきた。

 

本当に押し殺さなきゃいけないものなのか。

答えは、否である。

 

理由は明確だ。「この人と一つになりたい」と湧き上がらなければ、結婚生活は破綻してしまう。神様は、二人が一つになることをそもそも望まれているし、そのための結婚を私たちに授けてくれたのだ。

だとしたら「抱きたい」と思うのは当たり前のことではないだろうか。

 

で、ですね。私は今回最も大好きな聖書の箇所「雅歌」を読んでみました。

恋い慕いすぎてちょっと恥ずかしいぐらいのポエムになっているのが好き。

このやりとりは、夫婦の間で行われていますが、恋愛感情とはどういうものなのかを教えてくれている。あからさまに色っぽく朗読してみたので、よかったら聴いてみてください。(こんな読み方をした人はほとんどいないだろう)

 

当時と結婚制度が違うので、恋愛してからの結婚ではない。結婚してから恋愛が始まったパターンだ。私たちの時代は結婚する前の恋愛が許されている。逆に言えば、恋愛が相手をこれほどまでに求める気持ちになるっていうのも当然の帰結なのだ。

 

ちなみに、特に好きなのはこれ。

6節 どうぞ、そんなに見ないでください。日焼けして黒くなった私を

胸がキュンとなる。自分が美しいからさらけ出すのではなくて、相手を愛しているからさらけ出す。でも恥ずかしい。本当に恥ずかしい。そんな女心が見える。

ー雅歌が聖書の中に入れられるかどうか議論されたのもちょっとわかる気がするー

 

また改めてお話をしますが、恋愛衝動に任せてセックスをそのまましてもいいかどうかは全く別の話です。(もちろん、ダメ)

残念ながら私がシステムいじっていたら過去記事が全部消えてしまったので、一から書きなおさなければいけないのです・・・

でも、せっかくの年末年始なので、どんどん書いていこうと思います〜

 

 

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